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新宿副都心有情 
新宿副都心の廃業した風呂屋

油彩20号  西川治

ときおり煙突からかすかな煙りが流れていることがある。その度にぼくはお化けに会った時のようにドキドキする。

新宿副都心有情
 新宿副都心の下あたりの住人である。住みついて三十数年になる。子犬の小屋でさえ置
けないような手狭な庭があるだけで、狭い家である。買った時はどうせ、一時の仮の住ま
いにしょう。いつかは郊外に家でもとおもったのだが、写真家なんてやっていたら、とて
もじゃないが、いまだにそこから抜け出せない。しかし、うなぎもその穴に住んでいれば
なんとやら、居ごこちもよい。多少の濁りも気にならない。
 周りに、ぞくぞくとビルが建ちはじめた。朝起きるとビルに、それまでそこにあった空
が遮られていた。二階の部屋から広大な空が見えていたが、視界の半分を遮るように、斬
新なビル群がどんどん増えていった。いずれのビルも日本の建築家の一流どころが設計
したものだろう。一つ一つ見ると美しいのだが、これが群になると都や国の規制がどのよ
うになっているのか知らないが、おれはおれ、他のビルのことなど構っていられるかとい
うふうだ。ぼくはそんなふうに新宿副都心のそそり建つビル群を醜悪であるとさえおもっ
ていた。美しいとはおもっていなかった。しかし、このたび、東京の街を描いて見ません
かといわれた。六本木はいかがですかといわれた。とっさに新宿をといってしまった。
いつも見慣れたところのほうがいい。毎日、家の近くからバスで渋谷まで通っている。い
つもバスの中では本を読んでいるが、ときおりビル群に目をやっていた。必ず目をやるの
は、休業している風呂屋とビル群だ。あの風呂屋は戦後まもなく建てられたのだろう。壁
は崩れてきて板を打ちつけてある。ひびが割れ、腐りかけている。それでもダメだと、ト
タンを張ってある。それが錆びている。屋根は瓦である。植木が手入れもされず、枝葉が
のびている。それを見ていると悲哀も感じるのだが、心なごむのだ。一瞬のなごみを感じ
ている。いつまで営業していたのかしらないが、木桶の響く音が聞こえてくる。今でもタ
イル貼りの風呂の上に、富士山と帆かけ船の絵があるのだろうか。そこを一瞬に過ぎると
、また圧倒的なビル群の間をバスに揺られていく。
 新宿のビル群の回りには、まだ、小さなアパートや、個人住宅が残っている。バブル前
のあの地あげやたちが暗躍し、気の遠くなるような土地の高騰、その後のバブルで空き家
のまま放棄されたり、草茫々の空き地が残った。電柱と家々に電線が、なん十本とあやと
りのようにこんがらがっている。絵を描くまでこんな醜悪なものはないとおもったが、こ
の線が絵を引き締めてくれる。そんな電線の絡まるようにビル群もひっかかっている。
 この街に住んで三十数年になるといったが、もっと前から新宿を彷徨していた。大学生
時代にも、板だけを打ち付けたような赤提灯がぶらさがっている飲み屋があった。電車が
通過するとコップの中の焼酎が震えるような鉄条網だけの仕切りの前の飲み屋で、得体の
知れない臓物を煮込んだものを口にしながら焼酎を飲んでいた。今でもかすかに残ってい
るところがあるが、すべてはビル群にのみこまれてしまっている。

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